歯科医師紹介
私たち『宮崎総合歯科』が清武の地で開院して20年が経ちます。10年目の節目に、『こくぼ歯科プレミア』を完成させました。そしてこの20年の節目に、私たちは『こくぼ歯科』から『宮崎総合歯科』へと生まれ変わりました。
歯科医院は一般歯科(General Dentistry)と専門歯科(Special Dentistry)の2つに分類されます。 日本で一般的に見られる多くの歯科医院は一般歯科です。宮崎総合歯科はそのどちらでもありません。Special Dentistryが集合した総合歯科です。 世界中どこにもなかった全く新しいスタイルの歯科医療施設を作っていきます。
宮崎総合歯科では『広く、深く』専門的知識と技術を兼ね備えた歯科医師が包括的に治療計画をプランニングし、連携しあいながら診療を進めていきます。全てはLongevity(長持ち・長生き)を求めていくための私たちの結論です。
理事長紹介

宮崎県宮崎市生まれ
巨人・大鵬・卵焼きの世代ではありませんが、長嶋の引退試合で涙して以来、幼少時代は大の巨人ファンでした。学校から帰ると真っ先にグローブを手に取り、日が暮れてボールが見えなくなるまで家の壁を相手にキャッチボールをする毎日でした。当時のお気に入りは王選手の背番号が書かれた巨人のユニフォームを模したランニングシャツと無地の白いTシャツに母が手書きで書いた「ど根性ガエル風」のTシャツでした。プロ野球選手か内閣総理大臣になりたいと考えていたのが懐かしいです。
中学に入ると当然野球部に入ると思いきや、なぜだかバレー部に入ることになりました。どうしてバレー部だったのか、今では全く理由を思い出せませんが、きっと当時から背が高かったからでしょう。中学の3年間は完全にバレー漬けの毎日で、練習は1日も欠かしたことがなかったと記憶しています。3年生の時にはキャプテンを任されましたが、チームとしてそれほどいい成績を残すことはできませんでした。しかし監督やコーチがいないにもかかわらず、自分達でメニューを考え、コツコツ練習を続けた自分やチームメートの事は誇りに思います。あの時代最強と言われたソ連のザイツェフのプレーに憧れたものです。
高校は県下で一番厳しいと評判の宮崎西校に進学しました。山のような宿題と連日10時間の授業に追われ、球技大会、文化祭、合唱祭以外の思い出が全くなく、あっという間の3年間でした。我々も大変でしたが、授業を担当していただいた先生方はもっと大変だったのでしょうね。当時は全くそのようなことを考える余裕はなく、先生方のことを鬼のようにしか見えませんでしたが、今ではとても感謝しています。
大学は鹿児島大学の歯学部に進学しました。両親が歯科医師というわけではないのですが、歯科医師なら自分の努力と工夫次第で様々なことにチャレンジできるのではないかと思い、この道を選びました。バブル真っ盛りで一流企業からの就職も引く手あまたの中、歯科医師になる道を選んだわけですが、全く後悔がないどころか天職だったと思っています。
学生時代は父に連れられ、よくゴルフに行ったものでした。もっぱらホームコースは河川敷のゴルフ場でしたけど、とても楽しかったことを覚えています。ゴルフの魅力にとりつかれ、一生懸命に練習していたことを思い出します。同伴競技者からは、親子で仲良くゴルフをする姿を見て羨ましがられたものです。このころ覚えたゴルフは今でも趣味の一つですが、この10年は仕事に追われてめっきりプレーの回数も減り、ドライバーの飛距離とともにスコアもガタ落ちです。昔シングルプレーヤーだった姿は見る影もなくなりました。父の足が悪くなり一緒にプレーができなくなったのも残念です。
こうして自分の人生を振り返ってみると、小学校から大学までずっとスポーツに打ち込んできました。スポーツは見ることも大好きで、いろいろな種目の解説者顔負けの知識っぷりです。いつもテレビを見ながら『喝!!』とか『あっぱれ!!』とか叫んでいます。好きになると、とことん突き詰めたくなる性格で、このあたりは社会人になってからも変わりません。もちろん仕事も同様で、興味を持った分野は世界中を走り回って最新の知識や技術を習得するのが日課です。皆さんが宮崎にいながらにして世界基準の最新診療を受診できるように日々研鑽しています。
院長紹介

歯科医師臨床研修指導歯科医
衛生検査技師
兵庫県神戸市出身です。
好きなもの:旅行、漫画、お笑い、怖い話、絶叫マシン、美味しいものを食べる
私の親が歯で苦労したみたいで幼少期から歯は大事にしないといけないと教えられてきました。親の歯を治したいというのが歯医者になろうと思ったキッカケです。
その後、北九州にある九州歯科大学に入学し、歯周病が歯を失う最大原因であることを学び、歯を残したい、歯を守りたいという思いで大学病院の歯周病科に勤めました。
歯周病科でしばらく勤めていて、歯周病だけでは患者さんが困っていることを解決できない、もっと色んな分野を学んで歯の困りごとを治したいと思いました。
そこで色んな分野の治療をしている歯科医院で働こうと全国で就職を探して、最新の設備や歯を守ろうという歯科理念をもつ、ここ宮崎総合歯科(旧こくぼ歯科)で働くことになりました。 宮崎は縁もゆかりもない土地ですが、美味しい食べ物やおだやかな人柄の人が多く、とても気に入っています。
歯医者の仕事は虫歯や歯周病を治すことではなく、少しでも長い間(出来れば一生)、気兼ねなく食事できるように口の環境を整えてあげることだと思います。
前述したように僕は美味しいものを食べるのが好きですが、美味しいものを食べるのが嫌いな人はいないと思います。
患者さんが気兼ねなく食事出来るよう手助けをさせていただき、その患者さんから美味しい食べ物屋の情報を聞くことを楽しみに歯科予防や歯科治療をしていきたいと思っています。
すでに歯でお困りの方、歯に不安がある方、困ってはいないが歯を長持ちさせたい方、どうぞ気軽に声かけてくださいね。
常勤歯科医師紹介

日本口腔ケア会員
日本口腔インプラント学会認定講習会修了
福岡県の小郡市出身です。福岡とはいっても田舎で虫籠を持って走り回る典型的なわんぱく小僧でした。外で遊ぶのもゲームをするのも大好きで毎日毎日暗くなるまで誰かと遊んでいました。そのせいか人見知りなどはほぼしない性格で、どんな人とでも楽しく喋れるのが自分のいいところです。
運動が大好きで、小学生からバスケットボールを始めました。スラムダンクに影響を受けたわけでなく、ただ何となくで始めましたが、中学、高校、大学と気づけばずっとバスケットボールばかりの人生でした。競うことが大好きで、負けず嫌いな性格も諦めない根性もスポーツで形成されたものだと思っています。バスケットボールは今でも続けていますが、マラソンやゴルフも好きです。スポーツ好きな人はきっと話が合うと思います。
実家は小さな歯科医院で、幼い頃から歯科医師の父を見て育ちました。特に言われた訳ではありませんが、気がつけば歯科医師になるのが当然と思っていました。今思えば、仕事のことを熱心に話す父の姿を見て「やりがいのある仕事」だということが心に根付いていたのだと思います。高校生の進路選択の時、迷わず歯学部を選びました。あの選択は今でも正解だったと思っています。
九州大学歯学部を卒業し、大学病院にて研修医を終え、宮崎総合歯科に就職しました。
宮崎総合歯科の医療に対する考え方や最新の設備、治療の考え方に惹かれ、この病院で勤務することを決めました。当院の魅力はさまざまな患者さんに対応できることです。どんな患者さんの悩みにも応えられるように、全てのスタッフが努力を続けています。
「歯医者は怖い」「歯科治療は痛い」そんな皆さんの認識を変えられるようにすることが目標です。1本1本の歯の治療はもちろん、お口全体、全身状態まで考えて治療を行うことを常に意識しています。通いやすくて何でも聞ける、治療の痛くない歯科医師を目指して日々研鑽していますので何でも相談してくださいね。お待ちしています。

日本口腔外科学会会員
私は宮崎県宮崎市の高岡町出身です。高校生まで穆佐で過ごし、自然に溢れた町で山や田に囲まれてのびのびと育ちました。地域柄、小学生の頃から高岡町の偉人である高木兼寛について学ぶ機会がありました。高木兼寛は海軍軍医で脚気の予防に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれています。そんな中で、私も医療従事者を志すようになりました。
元々歯医者が大の苦手だった私ですが(子供の頃は大泣きして治療中断もしばしば…)、その経験を活かし、皆さんが心地よく歯科受診出来るお手伝いが出来ればと思い、歯科医師となることを決心しました。自分の歯並びがずっとコンプレックスだったというのも、理由の1つかもしれません。
鹿児島大学歯学部を卒業し、県立宮崎病院で全身疾患や外科処置を学びました。その中で自分の中の引き出しをもっと増やしたい、様々な分野の歯科治療を学びたいと思いました。そして、最新の治療を包括的に「広く、深く」行っている宮崎総合歯科で働きたいと思い、お世話になることになりました。
話は戻りますが、高木兼寛の言葉に「病気を診ずして病人を診よ」というものがあり、今でも私の中で活きています。私は、いつでも患者様に寄り添えるような歯科医師でありたいと思っています。
どんなに些細なことでも構いませんので、気軽に声をかけてくださいね。宮崎総合歯科でお待ちしています。

宮崎総合歯科で勤務しております、歯科医師の吉田翔です。
私は、患者さま一人ひとりのお悩みに寄り添い、「わかりやすく、丁寧な治療」を大切に日々診療に取り組んでおります。歯科治療に対して「怖い」「痛そう」といった不安を抱えている方も多いと思います。そんな不安を少しでも取り除けるよう、わかりやすい説明と、できる限り痛みの少ない治療を心がけています。
私は関東で生まれ育ち、大学進学を機に鹿児島へ移り住みました。鹿児島での学生生活を通して、地域のあたたかさや人とのつながりの大切さを実感し、卒業後はご縁があって宮崎で歯科医師として勤務を続けています。現在はここ宮崎の地で、地域の一般歯科医院や総合歯科医院にて幅広い症例を経験し、むし歯・歯周病の基本的な治療はもちろん、根管治療や小児歯科、義歯や被せ物の補綴治療などにも対応してまいりました。現在は、当院の院長やスタッフと連携しながら、患者さまにとって最適な治療をご提供できるよう努めております。
「痛くなってから行く歯医者」ではなく、「気軽に相談できる存在」であることも大切にしています。定期検診やメンテナンス、予防歯科のサポートにも力を入れておりますので、お口の中の気になることがあれば、どんな些細なことでもお気軽にご相談ください。これからも地域の皆さまに信頼していただける歯科医師を目指して精進してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。